ロハスなどという怪しげな言葉に,なぜ人々が惹かれてしまうのか。
特に私が信じられないのは,分子生物学者の福岡氏だ。彼は2005年に「プリオン説はほんとうか?」(講談社ブルーバックス)というタイトルで,狂牛病とそのメカニズムに関する,詳細な説明本を出している。その本自体は,論文や研究をまじめに分析し科学的に解釈を加えている,まじめな本なのだが。
福岡氏が書いた「ロハスの思考」(ソトコト新書。2006年)「プリオン説〜」とを読み比べると,とても同じ人が書いた本とは思われない。
科学者がこんな子供だましの思想(というか,趣味)にのめりこむとは,一体何があったのだろうか?と,ちょいと興味が湧いた。
そこで思い当たったのだが,彼は分子生物学者である。
分子生物学者は,もしかすると,科学としての基礎的な思考方法がとれないのではないか?
こう独断で考えるのには,根拠がある。私が昔とある研究所で,数人の分子生物学者を同僚に持っていたが,いま思い出すと,彼らもまた,理論立った物の考え方が苦手な人たちだった。
だから議論をしていてもしょっちゅう論点がずれてきて,非常に話しづらかった。
思うに,分子生物学自体に責任があるのではないだろうか。
分子生物学,というか分子生物学の実験技術は,基礎科学や基礎生物学に基づいていない。そりゃ,DNAやらRNAやらを扱うことは生物学の基本の一部だが,実験技術の多くが,経験のみに基づいているのである。
私は何度か,DNA抽出操作や,酵素による分解反応の内容について,「なぜこの試薬を使うのか」「なぜこのpHに設定するのか」など,基本的な質問を仕掛けたことがある。
驚くなかれ,そのたびに叱りとばされた。いわく,「それが経験というものだ」と。それって,科学か?
ふつう,実験に使う試薬やら温度やらは,科学的な根拠に基づいて使われるべきで,「使ってみたら偶然うまくいった」だけでは,論文として通らないはずなのだが,どうも分子生物学ではその手でまかり通ってしまうらしい。
実験方法の参考にしようと幾つかの論文を読むと,論文ごとに意味不明な試薬がちょこちょこ出てくる。
あまりにいい加減なので扱いに困り,結局私は,各論文に共通して使われている試薬だけを使って実験したら,ちゃんとうまくいった。 その他の試薬は一体,何のつもりで入っていたんだろう?
優秀と言われる分子生物学者を見ていると,強記博覧型の秀才が多い。成功例の論文を非常に細かく暗記していて,その手順をどんどん取り入れてゆく者ほど,経験豊富な研究者という事になる。
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